50歳での高齢出産!野田聖子議員に学ぶ出産と子供への思い

50歳での高齢出産!野田聖子議員に学ぶ出産と子供への思い

政治家の野田聖子議員は41歳のときに不妊治療を始め、50歳で赤ちゃんを授かりました。

過去には流産を経験しながらも、アメリカで第三者提供の卵子で体外受精に成功しました。

国内では非合法とされている卵子提供での妊娠は「そこまでして子供を産む必要があるのか」と批判されました。

しかし、野田議員は「家庭を営むことが私の生き様と考え、そのために経験を積み上げてきた」として、出産前から産まれてくる赤ちゃんに障害があることを分かっていながらも、出産する決意は変わりませんでした。

そこで今回は、

・野田議員とはどんな人?
・野田議員が体験した高齢出産について知りたい

といった方に、野田議員が体験した不妊治療と高齢出産、子供の障害についてご紹介します。

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野田議員はどんな人?

野田聖子議員は1960年福岡生まれ。岐阜県議を経て1993年に衆院で初当選し、1998年には小渕元内閣の郵政相として、当時戦後最年少の37歳で初入閣を果たしました。

そして、2001年に自民党の鶴保庸介参院議員と事実婚を発表。この当時から体外受精などの不妊治療を続けていました。

2004年には妊娠が成立するも、流産してしまいます。その後2006年に鶴保参院議員との関係を解消し、2010年に現在の旦那様である木村文信さん(当時は飲食店経営)と事実婚をします。

その年に、アメリカで提供を受けた第三者の卵子で体外受精に成功し、妊娠を発表。2011年に長男の真輝君を出産して、木村さんとも婚姻届けを提出しました。

また、野田議員は真輝君を出産時に子宮を摘出しています。現在56歳で、政治家として活動しながら、障害を持つ真輝君の子育てにも奮闘されています。

卵子提供とは?

まず卵子提供というのは、第三者から卵子を提供してもらい妊娠成立させる方法です。

第三者で対象となるのは、病気で卵巣を摘出した人や、早発閉経などによって排卵がなくなってしまった人です。

卵子提供は、不妊治療で体外受精に何度挑戦しても妊娠が成立しなかったケースや、女性の卵子に問題があると判明したときにも、この方法を取ることがあります。

ところが、治療するためにはいくつもの手順を踏まなければなりません。まず倫理委員会などによる認可が必要となります。

また、卵子提供は原則匿名ですが、匿名での希望者が見つかることは難しいため、親族や知人に卵子提供者がいなければ成立しません。

そして卵子提供を出来る指定の医療機関も少ないため、実施例も数十件程度しかないのが現状です。

卵子提供の体外受精、日本では難関

野田議員はアメリカで卵子の提供を受け、体外受精で妊娠しています。

日本の法律では、卵子提供による不妊治療はさまざまな理由から合法化されておらず、匿名の第三者からの卵子提供だけでなく、加齢による卵子の老化も理由として認められません。

国内の卵子提供に関する法律や制度はまだ十分には整っておらず、以前は病院が個別に対応していましたが、2003年に不妊治療を専門的に行なっているクリニックが集まって「JISART(日本生殖補助医療標準化機関)」という団体を発足し、国内での卵子提供に乗り出しました。

JISARTのガイドラインをクリアすれば、国内でも卵子提供を受けることはできますが、卵子提供者となる、ドナーのマッチングや条件などのハードル高く、国外で卵子提供を受けることは現実的に検討される選択肢の一つとなっています。

野田議員はいつから不妊治療を始めた?

野田議員は41歳から不妊治療を始め、40代の10年間は治療に費やしています。2001年に事実婚を発表した、自民党の鶴保庸介参院議員とは実に14回もの体外受精を試みており、2004年に1度妊娠したのですが、流産してしまいました。

そして2010年に、現在の旦那様となる木村文信さんと出会い、その年にアメリカで提供を受けた第三者の卵子で体外受精に成功し、妊娠したことを自らの手記に寄せて『週刊新潮』で発表しました。

当時、アメリカで卵子提供を受けるための渡米は、国会開会中の海外医療観察の名目で行われたこともあり批判もされましたが、野田議員は自身を「おばさん妊婦」と揶揄して高齢出産に臨みました。

野田議員の出産に対する思い

野田議員の出産に対しては、政治家という職業や、50代での高齢出産となるなどのさまざまな理由から世間からもたくさん批判されていました。

それらの批判や罵倒に対し、野田議員はこのように答えています。「思いつきで産んだわけではないです。突然、子供がほしくなって作りましたというのではないんです。私は子供を作って、家庭を営むことが渡しの生き様と考え、そのために経験を積み上げてきたんです」

また、高齢出産に対しても「反対する人がいるのも理解できる。でも挑戦する人たちのことも認めてほしい。だから私が一石を投じなければという悲壮な想いがあります」とこのように話しており、何があっても「それでも私は産みたい」と主張していました。

妊娠初期には、赤ちゃんの奇形や障害がわかる出生前診断を受けることもできますが、「どっちにしろ産むから」と精密検査を拒否したそうです。

結果、妊娠した胎児には障害が見つかりましたが、赤ちゃんの異常が判明した以降のインタビューでも「2人目3人目も頑張る」と宣言しており、出産に対しては一貫して強い思いがあることを主張し続けていました。

子供を持つことが野田議員にとっては悲願だったのです。

野田議員の出産までの道のり

野田議員は妊娠中から、お腹の赤ちゃんが臍帯(さいたい)ヘルニアで肝臓が体外に飛び出しており、心疾患を患っている状態であることがわかっていました。

臍帯ヘルニアというのは、赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいるときの病気で、臍帯やへその緒の中に生じるヘルニアの一種です。

臍帯内に、腸管や肝臓などの腹腔内臓器が突出したものです。

出生前診断の超音波などで、赤ちゃんが生まれる前に診断されることが多いですが、産まれた後でも臍帯内に脱出腸管が見られるので診断はわかりやすいとされています。

発症の頻度は1万人に1人と少ないのですが、50%以上で染色体異常、消化管、心血管、泌尿生殖器、中枢神経系などの重症奇形を合併しています。

突出した臓器は、出生後の手術でお腹の中に戻すことはできますが、そのためには新生児外科治療の可能な施設での分娩が必要となります。

万が一、出生後に臍帯ヘルニアとわかったときには、手術可能な施設への緊急搬送をしなくてはいけません。

野田議員の赤ちゃんは、出生前に臍帯ヘルニアを発症していることがわかっていたので、出産後はすぐに飛びだしている肝臓の処置をしなければならず、産後すぐに小児科で検査を受けるために運ばれて行きました。

そのため、真輝君の顔を見ることはできませんでした。検査を終えた後、真輝君と手術室で対面できたのは15秒ほどで、誕生直後からほぼNICU(新生児集中治療室)へ入ることになっていました。

しかも、野田議員は妊娠7ヶ月で大出血を起こし入院し、入院したまま帝王切開で長男である真輝君を出産しています。

このことからも、野田議員の出産は母子ともに大変なものだったことが伺えます。

子供の障害は?

野田議員の長男・真輝君には、妊娠中の臍帯(さいたい)ヘルニアと心疾患以外にも、産まれてきた後に食道閉鎖症が見つかりました。

出生後は胃に栄養を送り込むチューブの手術、肝臓を体内に入れる手術、食道閉鎖症の手術、心臓の手術など、生後11ヶ月で合計7回もの手術を行いました。

心臓の手術後には一時呼吸が停止し緊急手術となり、一命をとりとめましたが、後に脳梗塞を起こし、そのため右半身に麻痺が残っています。

自力では呼吸が困難なので、気管切開して人口呼吸器が付けられたため声も失ってしまいました。

生後11カ月の段階で体重は5キロもなく、当時はチューブを17本もつけていました。2012年1月に迎えた1歳の誕生日も病院にいて、この当時真輝君は新生児の頃から病院を一歩も出たことがないことになります。

野田議員は当時このように言っています。「でも、いつかは絶対に必ず退院させて、みんなと同じ外の空気を吸わせてあげたい。そして、家で一緒に過ごしたい」真輝君の障害は想像以上に重いものでした。

野田議員は出産後1週間ほどで退院しましたが、子宮内に血の塊が見つかり再入院することになり、2011年には子宮摘出手術を受けることになります。

「2人目3人目も頑張る」とインタビューでも答えていたように、野田議員は第二子・第三子の出産も望んでいましたが、ここで次の妊娠は不可能となってしまいました。

「真輝の姿を見て以降、かなうならば2~3年後にもうひとりと考えていたが、もはや望めなくなった。子宮摘出の日、私は泣き濡れた」と野田議員は著書の中で綴っています。

その後も肺炎にかかる

真輝君は帝王切開で2154gで誕生し、1年2ヶ月を過ぎてようやく6300gを超えたそうです。

産まれてからもさまざまな疾患が認められ、そのほとんどをNICU(新生児集中治療室)で過ごさなければいけないほど、不安定な容体が続いていました。

その後体調も回復し、最悪の状態を抜け、一般病棟に移ることができるようになりましたが、なんと1ヶ月に2回肺炎にかかっていたのです。

乳幼児にとって肺炎は、命を落としかねない危険な病気です。肺炎はウイルスや細菌による炎症が肺に広がり引き起こされます。

喉や気管で起こった炎症が肺胞にまで広がってしまい、肺の中でも炎症を起こしている状態ですが、肺が炎症を起こすと空気を上手に吸い込めなくなるため、大変息苦しくなります。

息苦しさに伴い激しい咳も出るようになります。特に乳幼児は大人と比較して肺炎が重症化しやすいので発症したら注意しなくていけないのですが、真輝君はこの病気に月に何度もかかっていました。

真輝君が肺炎に何度もかかっていた理由ですが、人工血管を使用している心臓のバイパス部分に、細菌が生息しているかもしれないとのことでした。

バイパス部分に細菌やウイルスが見つかったときには、抗菌薬である抗生物質を投与することになりますが、心臓のバイパスのある子供では、感染性心内膜炎に進展する可能性があります。

耐性菌などでもし治療が上手くいかなかった場合は、命にかかわる危険性もあるためリスクが高いとされます。

真輝君は産まれたときからずっと闘病生活を続けて、その間、野田議員も政治活動を行いながら病院から出られない我が子の病態を見守るという生活を続けていたのでしょう。

真輝君の退院後の野田議員の子育て

その後真輝君の長期入院は、生まれてから2年3ヶ月でようやく終了し、退院することができました。そうして、野田議員が待望した家族一緒での暮らしがスタートしたのです。

野田議員の旦那様である木村文信さんは、当時焼肉店を経営していたのですが、国会議員である妻が、子育てと仕事の両立を行うのは難しいと判断し、2013年に専業主夫になるためお店を閉めました。

元々野田議員の出産には賛否が分かれていたので、旦那様のこの決断は野田議員にとって大きな支えとなったことでしょう。

家族一緒に暮らすようになってからは、真輝君の退院直後は旦那様との関係が上手くいかなかったりと、子育てで直面する問題に加えて、引越し先の保育園で障害児を預かってもらえなかったり、子供の障害によっての悩みが数多く出てきました。

自宅でも、2013年に痰がつまって窒息状態になった真輝くんは、一時意識不明に陥るなど命の危険が何度かありました。

しかし、2014年の真輝くんの3歳の誕生日で、野田議員はこう話しています。

「初めて家族で普通に迎えられる初めての誕生日です。普通の子だったら大きくなってから、どこかへ連れて行くということもできるでしょう。でも、うちは大きくなるか保証すらない子だから、できる限りどこへでも連れて行こうと思っています。2013年8月には、韓国の日韓フォーラムにも連れて行きましたよ。酸素ボンベを6本ほどスーツケースに入れて・・・」退院した後も誰かが看ていないといけない状況の中で、それでも息子が成長してくれていることや一緒に過ごせる時間を愛おしく思っていることが伝わってきます。

野田議員は卵子提供を受けるために渡米したときから「公私混同」だとしてバッシングされていましたが、超高齢だったとしても本当に子供が欲しかったのでしょう。

高齢出産でも「産みたい」という子供への思い

14回もの体外受精を受け、50歳でようやく悲願の妊娠、出産した野田議員ですが、政治家であるが故に批判も大きく、世間からの目もかなり厳しい中でのお産だったことが伺えます。

しかし、子供が欲しいという気持ちを諦めずに、高齢出産でも子供を産み育てている野田議員は、これから高齢出産となる女性にとっては心強い大きな目標となるのではないでしょうか。

専門家の見解では、長男・真輝君の障害は、卵子提供や体外受精、高齢出産が原因ではないといわれていますが、高齢出産には帝王切開での娩出となる確率や、出生前診断で赤ちゃんに障害が見つかる可能性は高いという統計は出ています。

一般的には35歳以上での出産は、それ未満の年齢と比べて出産リスクは伴うとされています。もちろん、そうでなくても赤ちゃんの障害は誰にでも起こる可能性はあります。

そんなとき、野田議員のように「障害があってもなくても絶対に産む」という強い意志を持つことができれば、赤ちゃんに疾患が見つかっても気持ちが揺れることはないのかもしれません。

ずっと望んでいた赤ちゃんの誕生はかけがえのない瞬間です。議員に対する賛否両論はありますが、どうしても子供が欲しいという子供への強い思いは、野田議員に学ぶことがあるような気がしますね。

参考記事
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>>高齢出産にまつわる体験談まとめ!高齢出産を決意したきっかけ
>>高齢出産の子育てできついと思うことは?実体験でアンケート!

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